巻頭言1994

新生第三内科の在りかたについての考察1994年)

 

-はじめに-

 あと6年もたたないうちに21世紀になる。内科学の内容は年月を経て多彩、多様化の一途をたどり、関連する領域も広汎に及んできている。実際のところ、内科学が対象とする領域はきわめて複雑、多岐にわたり巨大化しつつあり、その全貌を整理することはとても困難である。21世紀を迎えるにあたり、現在の情況を分析し問題点を掘り起こし、それらを解決、是正することによって新しい内科学への脱皮が嘱望されている。数年前に文部省特定研究として「21世紀へ向けての医学と医療」という課題で班研究がもたれ、現況における問題点が討議されている。そこには内科学における諸問題も取り上げられているので、それらを第三内科の現状に照らし合わせながら考案し、第三内科の将来を展望したい。

-内科学をめぐる諸問題-

 臨床医学は、人間の疾病論を中心に発展してきたが、自然環境、社会構造、疾病構造などの著しい変化に伴い、単に疾病論だけにとどまらず、人間の社会生活の基本となる健康、保健、生きがい、福祉などを広く包括的にとらえ対応する必要がでてきている。こうした領域には、健康医学のほか予防医学、心身医学、リハビリテーション医学などが含まれる。一方、一般的に臨床医学としてとらえられてきた分野、すなわち疾病に主眼を置きその診断や治療に取り組む領域においても近年の医学の進歩により、その守備範囲は膨大にふくれ上がり将来もますます増大すると想像される。

内科学は臨床医学のなかで最も根幹をなす領域で、現在のところ、呼吸、循環、消化、腎、内分泌・代謝、神経・筋、血液、免疫・アレルギー、骨・結合織などを対象にした各分野があり、人間を構成する内部臓器、組織のほとんどの部分を網羅し、その形態や機能の異常などの病態を取り扱っている。言い換えると、人間そのものの内部環境のあり方すべてを対象としているわけである。内科学の内容には、二つの立場があると言われている。第一の立場は、いわゆる臓器別に取り扱うもので、消化器とか、神経とかいうものであり、第二の立場は、臓器を越えて構断的な基盤から、いわゆる総論的に共通要素からアプローチをするもので、色々と分岐を出すが、究極的には一本にまとめる役目があることが指摘されている。

 ここ数十年の内科学の歩みを振り返ってみると、細分化につぐ細分化で各サブディビジョンでも、もはや一人のスペシャリストがその全般に精通することができなくなりつつあり、このままでは内科学の存在する余地はなくなりサブディビジョンの単なる集合体に陥る危険が指摘されている。細分化を否定するのではなく、細分化の進むなかで常に総合化を強く意識しておく必要があるということである。臓器、組織は人間個体のなかの一部分であり、その部分を対象とした疾病は存在するが、たとえそれが、その臓器、組織の疾病であっても、疾病としてとらえる場合には、人間全体のなかでとらえるのでなければ、臓器、組織の疾病といえども、全貌がわからないであろう。各分野に分れた専門領域があり、それらが細かく、深くなっても、全体として包括する内科学の立場は決してなくなるものではなく、また不必要なものではない。むしろ、各分野の専門分科は、全体を基盤とする内科学のあり方を土台とした上に成り立つと考えられる。

 我国は明治時代にドイツ医学を受け入れ、システムの中身が変わらないまま戦後アメリカ式の医学を取り入れた結果、色々な矛盾が出てきている。約10年前、米国のGPEPGeneral Professional Education of the Physician)が医科大学の教育に関してレポートを出し、色々な勧告をしている。医学教育に関して、臨床的な知識の習得、従来の講義一辺倒の教育方法をやめて、知識情報は個人の受け入れられる最少にとどめ、技術や価値観、あるいは医療に対する姿勢に対する教育姿勢を明確にすべきであると述べている。そのために、その目的に沿う臨床教育体系を確立し、時間と財源を確保すると共に、臨床実習の評価基準、すなわち、従来は試験だけで判断していたのを実際の臨床の力を評価するための基準を作りなさい。特に卒後教育に当たっては、専門領域志向を煽るのではなく、もっと一般的な内科の知識を身につけることが出来るよう教育科目に力点を置きなさい。さらに基礎科学と臨床教育との統合をはかりなさい。要するに、知識のための知識の伝授はやめて、臨床に間に合う、あるいは臨床に適応するために必要な基礎的なプリンシプルを重点的に教え、それをいかに応用するかという、原理と概念の習得に力を置きなさいということである。

 医学教育上の問題の背景は、日本も同様であり、そのような視点から内科学を教育し、内科医を養成する場合考えなければならない問題は、現在の臨床教育における教育スタッフと研究スタッフの在り方である。大学病院が本来背負わされている任務は、教育、研究、診療の三つであるとよく言われるが、臨床教育のスタッフと、研究に比重を置くスタッフをある程度分けて役割分担しないかぎりそれぞれのスタッフが三つすべてをこなすのはとても無理になってきている。そして臨床教育に当たる者と研究に当たる者には、それぞれのアカデミックキャリアに対して平等に尊敬、名誉および身分が与えられるべきである。「クリニカルなスタッフとリサーチのスタッフそれぞれにレスペクトを与える」という問題には、関連病院の勤務医や開業医にも一つの役割を演じてもらうという考えが含まれている。新しい診療教育体制に活力を与えるためには、関連病院や市中病院との人事交流を自由に積極的に行うことも必要であろう。関連病院で研鑽し優れた臨床能力を持つ人材には大学での臨床教育スタッフとして活躍してもらうべきである。日本の医師会での開業医の比率は、いま勤務医と半々になってきている。大学では、どちらかと言えば病態生理の究明に主力を置き、開業すると主としてプラクティカルな治療に専念し、お互いにやや無関係とも言うべき状態にあるが、この間をもっと密接に結びつける必要がある。大学でも、一般医でも、日常診療でのヒントからの予防法、治療法の開発をもっと高く評価されるべきであろう。大学と開業医とが対等の協力をし、両者間の格差をなくし、チームワークをつくることが内科の進歩にとって重要である。第一線の開業医が、実際の患者を診ていて病気の解決や治療に役立つヒントを指摘し、大学とタイアップして解決するシステムが必要である。臨床の現場における最初のヒントに対し、研究室で試験管や機械を使って行なった研究と同等の高い評価を与えるような気風が、内科の発展のために不可欠である。インスリンの発見が、開業していた一人の外科医のアイデアと、それを受け入れて研究の場と学生の協力者を提供した大学の協力によってなされたことを思い起こす必要がある。

 診療教育体制を改善することと関連して研究体制の見直しも必要になってくる。研究というからには、どこにも通用するようなオリジナリティのある研究をしなければ、時間的にも経済的にも無駄である。そのためには、内科学のみならず、基礎医学、あるいはもっと広く自然科学領域にまたがる広い視野を持ち、さらに研究技術を十分に習得してから始めるのが効率の良い方法であろう。それには、研究を始めるに当たって、研究の基本を習得させる研究研修期間を設けることが有効かもしれない。現在、大学院制度があるが、一般的にみて我が国の臨床教室において、大学院制度の位置づけが曖昧模糊として、有名無実化しているところが多い。臨床教室において大学院制度をどのように位置づけ、有効に機能させるかが今後重要な課題である。

 内科学における問題を一般的に記述してきたが、それでは我が第三内科およびその同門のなかで、それら諸問題をどのように解決していくかを具体的に考えていかねばならない。大変に難しいことであるが、たたき台が無ければ何事も前には進まないであろうから、思いつくことを次に述べてみたい。

-"どのような内科医をめざすか?"-

 ジェネラルフィジシャンとしてレベルが高く、すなわち内科一般にかなり精通し総合的な見方ができる内科医で、かつ細分化された専門分野のスペシャリストが理想的であろう。総合的能力の備わった内科医としての一つの基準は認定内科医および内科専門医の資格である。また専門分野における専門医はそれぞれの学会にその資格を得るための条件が決められている。大学病院で第三内科が専門分野として標榜しているのは、内分泌、カルシウム・骨代謝、神経・筋、血液・腫瘍、免疫である。これらの領域には、問題をかかえる難病が多く含まれており、研究が絶対的に要求される分野であるが、一方、臨床的には全身性に症候の出現する疾患も多く、臓器別に疾患をとらえようとしても困難な場合が多い。すなわち、このような患者を正しく把握するためには総合的見方のできるジェネラルフィジシャンとしての高いレベルも必要となってくるわけである。大学病院では、第三内科恒例の火曜日チャートカンファレンスにおいて、自分の専門分野以外の知識が耳学問で得られるよう忌憚のない意見を出してもらい、主治医およびその指導グループを叱咤激励している。第三内科を回ってくるポリクリ学生が、その白熱した議論に圧倒されてしまった、と感想を述べるぐらい、病態の解釈や診断、治療方針の決定において激しい議論になることもある。しかし、大学病院で第三内科が標榜している専門領域は、内科全体の中では範囲が狭く、いかにジェネラルに強くなろうとしても、この専門領域にのみ固執していたのでは一般内科総合医としてのレベルはたかだか知れているだろう。たとえば、内分泌疾患を持つ患者は、患者全体の3%を占めるにしか過ぎない。内分泌疾患しか診ることが出来ない片輪の医者を造りたくはない。内科にどんな患者が来ても一般内科医としての対応が出来、さらに10%ほどの患者に高い水準での診療ができる内科医であって欲しい。内科を受診する患者には、消化器循環器の疾患をかかえる患者が多い。従って、消化器、循環器のいずれかには、強くなって頂きたいと念じている。幸い、第三内科の関連病院には、消化器を専門分野として標榜し活躍してくれている先生方が多く、また、大変熱心に診療活動を続けておられるだけでなく、研修医の指導および大学病院でのポリクリ学生の教育もやって頂いている。消化器の専門医とジェネラルフィジシャンと混合するつもりはない。しかし、頻度の多い疾患について専門的な知識や技術が多ければ多いほど、多くの患者を高い水準で診られることになるわけで、一般内科医としての力量も当然、増えることになろう。循環器を専門として標榜されている同門の先生は、まだ数が少ないが、将来そのような先生が出てこられるのも大歓迎である。現時点では、新入局員やポリクリ学生への説明のなかに、一般内科医として勝負する武器として、消化器に関する知識と技術を身につけ一生に渡り機会をみつけて精通するようお願いしている。そのような私の気持ちが以心伝心で伝わったか、私がお願いしたのではなく、関連病院の先生達が、自発的に、消化器疾患に関する臨床上の問題を気楽に話し合い、相談できる会合を持ちたいという主旨で「消化器臨床懇話会」が発足した。私個人としても、この会が発展し、第三内科同門の医師の卒後教育、生涯教育の索引車として、大きな役割を果たして欲しいと期待している。2回開催された会に出席させてもらったが、4050名の出席者を数え、開業されている先生も参加されており、何々良い雰囲気の会に思えた。大学からの参加者がやや少なかったが、大学病院で専門分野の研修や臨床をスタートした医局員も、時間を作ってリフレッシュおよび消化器の知識とレベルの維持のためにできる限り出席することを勧めたい。消化器臨床懇話会と同じような意義で発展を期待しているものに「39会」がある。この会の名前を知らない医局員も多いのではなかろうか?39会は3月と9月に糖尿病に関する臨床および研究の情報交換を目的として開催される研究会で、3内関連の研究会では最も古い研究会に属し、既に21回を数えている。内分泌、代謝の領域では最も患者数の多い糖尿病の臨床については高い水準での診療ができるよう自ら切磋琢磨して欲しいし、39会には3内の同門の方々もできる限り多く出席して糖尿病に関する知識を獲得して頂きたいと念願する。消化器臨床懇話会とほぼ同じ頃に、やはり同門の方々の発案で「三緑会臨床血液懇話会」がスタートした。3内関連病院の親睦と血液疾患に関する情報交換が会の目的と嘔われている。白血病は、もはや治しうる病気になってきている。骨髄移植や化学療法、およびその前後の経過観察における注意点やノウハウに関する知識の共有、さらには病院間のネットワーク作りなど、この研究会の果す役割も大いに期待される。内分泌の領域では、私自身が代表世話人をしていた「兵庫県小人症研究会」が、今秋、名称を「兵庫県内分泌疾患研究会」と変え、新たにスタートすることになった。小人症に限らず、内分泌疾患を広く対象に検討する研究会に模様替えをし、忌憚のない意見を出せる雰囲気の勉強会にしたいと考えている。カルシウム、骨代謝領域では「関西カルシウム懇話会」、神経の領域では「兵庫県神経内科研究会」、「兵庫県パーキンソン病及び不随意運動研究会」、「摩耶神経カンファレンス」、内分泌領域の「関西ホルモン同好会」、「甲状腺同好会」血液の領域では「神戸血液病研究会」、免疫の領域では「神戸免疫セミナー」、「神戸大学ACIアーベント」など、専門領域の研究会も数多くあり、同門の方々の興味次第で参加されるのが良かろうと思う。

 はじめに述べたように、3内の同門の方々、特に若い方々にはジェネラルに強い専門医を目指して欲しいと思う。そのために、消化器や糖尿病と言った患者数の多い疾患の臨床に関して自信を持って診療できるよう、上記の研究会を十分に活用して頂きたい。また、関連病院で第一線の臨床をやっている先生達を、大学病院の教官(スタッフ)と同格に扱うのみならず、アカデミックキャリアに対する評価を正当に行い、身分のプロモーションをはじめ、大学との人事交流および関連病院間での人事交流を積極的に行なっていきたいと思う。

-"臨床医学における研究の在り方"-

 内科学を含めて臨床医学は、患者に接して共通の苦痛を感じ、それを解決するための学問であり、どんな基礎的な方法を用いても、その成果が患者のどういう点に返るかという基本的な姿勢を必ずもつべきであろう。したがって、新しい事実を明らかにすることも大事であるが、それが患者の苦痛を和らげるためにこのように役立ったということが大切で、直接的にそのことが論文に記述されていなくても、その思想が根底に流れていることが必要である。今までの臨床医学は、疾病の原因、病態、診断、治療に対する研究、すなわち病気になってから後の諸々のことが対象になってきた。これらが主流であったのは医学の発展の過程でそのようになっていたにすぎず、今後の臨床医学は今迄の観点ではとても包括できないようなものに発展すると思われ、予防を中心とし、各分野と密接な関連をもつ大きな科学に拡大していくであろう。

 このような時代の変換期に、私達の臨床医学の現状はどうであろうか?旧態依然のまま、何の手を打たないままでは時代の流れからとり残されてしまうであろう。今一度現状を振り返ってみる必要があろう。

 医学は従来から基礎と臨床の二つに分けて取り扱われてきた。基礎医学は臨床医学を理解するための基盤であり、臨床医学への橋渡しを担う重要な意義を持つ。医学教育においても従来から基礎医学から始まり、臨床医学へと進む過程がとられてきた。しかし、実際には両者は渾然一体をなすものであり相互に密接な関係にあり、神戸大学で平成5年より始まった6年一貫教育カリキュラムにおける医学部の教育体制には、その趣旨を生かそうとする努力の跡がみられる。

臨床医学では、患者が対象となって登場してくる。患者とは、疾病にかかった人間であるから、人を対象とした疾病論が臨床医学の中心課題になってきた。従って、細胞や動物などを対象として実験的に研究した基礎医学での成果のうち臨床に応用できるものを取り入れていくという立場が、臨床医学の基礎医学に対する一般的なとらえ方であったし、疾病論の立場からは、病気を持たない健康な人を対象とした身体のからくりや仕組みなどを研究し得られた基本的な知見を疾病の理解に応用することが臨床医学のあり方とされてきた。しかし、時代とともに、情況はかなり変わってきている。多くの知識が集積されるなかで、臨床医学が基礎医学研究で得られた知見を臨床に応用していくといった受動的な立場では、とても時代の流れにはついて行けないほど他の科学分野は発展している。臨床に身を置く私達は、疾病の本態にもっと直線的に近づきそれを解決するため自ら行動しなければならないのではなかろうか?

 私達の基礎医学に対するとらえ方も見直す必要があろう。基礎医学には生命現象の解明を対象にする純粋科学の領域と病気の仕組みや原因をさぐる疾病の科学の領域がある。基礎医学を純粋科学と疾病の科学に分けて過去を振り返ってみると、神戸大学医学部を含めて日本全国の医学部、医科大学のかなりのところでは純粋科学に主眼が置かれていて、疾病を対象にして研究している基礎医学講座は少数派である。医学の究極の目標が疾病の根絶にあるならば、もっとも力を注がねばならない疾病の科学に携わる医学者の数が少ないことは日本の医学の将来を考えると重大な問題である。しかし現在に至るまでその重要性が軽んじられたわけではなく、むしろ学生教育の現場では、教官とくに基礎医学講座の教官は必死の思いで基礎医学を専攻しようとする学生を勧誘してきた。臨床医学講座の教官も基礎医学に興味を持つ学生にはその方向へ進むことを激励したはずである。生命現象の解明に興味を持ち、純粋科学として生化学や生理学を専攻したいという学生は学年に数人は居るかもしれない。しかし疾病の原因や病態、仕組みの解明、さらに治療や予防のための科学的根拠を追求する科学、これこそ正に最も医学的な研究であるわけだが、これを基礎医学研究としてやりたいという学生あるいは実際に遂行している基礎医学研究者は、純粋科学の希望者の数よりも明らかに少ない。根本的な問題の一つは、既存の指導的立場に居る基礎医学者の価値観および目指す方向である。基礎医学者の多くはMDであり、学生時代に臨床医学の講義、実習を受け試験にも合格している。疾病の名前や病態は知識として持っていてもup to dataのその疾病に対する研究情報を把握している基礎医学者はどれ位居られるのであろうか。誤解があってはいけないので断わっておくが、私は決して基礎医学者を非難するつもりも無いし、また見下しているわけでもない。私達が臨床の現場で対応に困り果てている難病の克服を目標に本格的な基礎研究を遂行して下さる基礎医学者の少なさを嘆いているだけである。

 ではどのようにすれば現状を打開できるであろうか。おそらく最も有効な方法は、現行の臨床、基礎の講座のscrapbuildであるが、実際のところ多大な困難を伴うであろうし時間をかけた討議も必要であろう。臨床講座に身を置く私達が大きな枠組みを変えなくても出来る事は二つ考えられる。一つは、臨床医学研究で既にかなりの研鑽を積み、ある種の難病の解明をライフワークにしているような明確な目標を持っている医学者を基礎医学講座のスタッフとして迎えてもらい、その難病の克服を目指して基礎研究に徹して頂く方法があろう。臨床講座やその難病の患者を扱っている関連病院との共同研究も可能であろうし、また、臨床講座に籍を置き、臨床に興味を持つ若い医学研究者も疾病に関連する基礎研究であるならば、むしろ進んで参加するのではなかろうか。さらに、籍を基礎講座と臨床講座のいずれに置くかは固定しないで柔軟性を持って対応すれば、臨床志向の若い研究者の不安も無くなるであろう。この方針が実現するためには、私達第三内科のみの志向では不可能であり、賛同して下さる基礎講座が必要である。別の方法は、第三内科の内に、疾病に焦点を当てた本格的な基礎研究を遂行するチームを作ることである。この方法は、他の講座を巻き込むことが無いので、決断すれば実践可能である。しかし、第三内科の制限された医局員数を考え、また果たさなければならない診療、教育の義務を勘案すると必ずしも容易な道では無い。

 日本全国の医学部、医科大学の臨床教室のスタッフの数をみると、2、3の医学部を除いて、その数は少なく、診療と研究のスタッフを分けて機能させることができるかどうか大きな不安がある。また、診療要員として病院に配属される医員の定数にもしめつけがきており、将来、その数が増えていくことは期待できない。このような情況で、見つめ直さねばならないのが大学院制度と関連する諸問題である。

-"大学院をどのように位置づけるか?"-

 臨床系大学院の理念には、色々な考え方があるが、代表的なものは、次の二つである。

 第一は、優れた臨床医学研究者を育てるための研究者養成機関であるとする考え方である。この理念は基礎医学系の大学院については当然のことであるが、臨床系大学院においても同様に、この大学院修了者は将来医学教育研究機関において診療、教育、研究に携わり、日本に医学研究の最先端を担うと共に後継者の育成に携わる。仮に名称をつけるならば「研究者養成型大学院」と呼ぶべきもので、他の分野の大学院博士課程ではごく普通の理念である。

 第二は、臨床医が診療を行う上で必要な「研究マインド」を教える機関であるとする考え方である。患者の一人一人は異なった病像を持ち、また時にはこれまでには知られていなかった全く新しい疾患を持っていることさえあるわけだから、患者の日々の診療においては常に新しい視点が必要である。治療法も極端な言い方をすれば、一例一例が新しい試みであるとも言える。従って、臨床医は常に「明日の臨床医学」を意識しつつ患者の診療にあたるべきであり、このような医師こそ「高度の技術をもった臨床医」と考えるべきである。このような臨床医を育成するには、一時期、臨床医学から生じた問題を解明するような医学研究や新しい臨床医学技術の開発に携わらせることが有効であり、その場を提供するのが臨床系大学院であるとする。従って、この大学院の修了者は必ずしも一生にわたって、研究者であり続ける必要はなく、臨床医になったとしても、ここで学んだ「研究マインド」を持ち続けることが重要である。このような「一時期の医学研究者」は、一方で日本の先端医学研究を維持する上でも重要な人材と考えられる。最先端の医学研究の維持には、いわば裾野の広さも必要であり、臨床に根ざした多くの研究の中から最先端の研究も生まれると期待される。また、これらの人々は実際の医療現場での経験に基づき、新しい医学技術の開発に直接的、間接的に貢献することになる。このような大学院の考え方に名称をつけるとすれば「臨床医学修士的(型)大学院」とでも言うべきもので、他の分野では、工学部修士課程と共通するものがある。

 この二つの考え方は、大学病院問題懇談会において臨床系大学院のあり方について討議された結果、集約されたものであるが、私自身の大学院に対する考え方は、第二の理念に一致している。また、現在の神戸大学医学部および第三内科の状況にもよく適合するのではなかろうか。

 新生第三内科の若人達には、卒後3年間の初期臨床研修を終了したら状況が許す限り大学院生を目指して欲しいと思っている。定員の心配があるかもしれない。確かに第三内科の定員ワクは一学年3名である。しかし、神戸大学には、他大学には例を見ない「主科目分担制」という制度が作られており、基礎医学の研究科、すなわち「生理学系」、「病理学系」、「社会医学系」の主科目と第三内科の両方に籍を置くことが可能である。この主科目分担制をフルに活用するならば、定員の問題はかなり解決されるであろう。第三内科の大学院生になるか、主科目分担制の大学院生になるかは、本人の希望や応募者の人数によって調整したいが、少なくとも両者間に差をつけるつもりはない。しかし、従来からの第三内科が主科目の大学院生を見ていると、研究以外に4年間を通じて診療要員としてフルに駆り出されている。主科目分担制の大学院生が基礎の教室で研究している期間は、3内の診療の義務からはずされている事実を考えると、第三内科所属の大学院生にも研究に没頭できる時期を少なくとも4年間のうちのある時期に作ってあげるべきではないかと思っている。このことは、教育機関として大学院を考えた時とても大切であると思う。これまで、第三内科でもそうであったと思うが、臨床に携わりつつ研究の方法を学ぶというやり方が一般的であったが、診療の厳しさを学ぶ上からも、研究の厳しさを学ぶ上からも決して望ましい姿ではない。少なくとも、研究方法を学ぶ間は、それに専念することを原則とするべきであるし、そのための時間が必要である。研究方法は、研究を行なう中で自然に習得されるという考え方は、もはや通用しない。この考え方は、かつて医学研究の方法が未発達であった時代には可能であったかもしれないが、科学としての医学が著しく発達した現在では、研究者は最低の研究方法と研究のルールを学ぶことが必須となった。特に、医学部の大学院学生の場合は、他学部の学生と異なり、学部学生の時に卒業論文を書くこともなく、また修士課程を経ることもなく博士課程に直接入学するから、大学院入学前に研究の方法を具体的に学ぶ機会をほとんど持っていない。このような大学院生に対しては、少なくともある期間、研究の最小限の方法とルールを教育する必要がある。

 大学院生の指導体制についても再考が必要であろう。現在は、それぞれの研究グループで確立されている研究方法や手技を、そのグループに配属された新人が受け継いでいる。歴史のある大きなグループもあれば、新しい小グループもある。研究に必要な最小限の方法を会得するために、研究グループを越えた研究方法教育カリキュラムを作り、教育指導を行った方が良いように思っている。その教育指導には、大学院の上級生にも参画してもらいたいが、大学院教育に専念できる教官(スタッフ)も必要になるかもしれない。この教官は、いわばリサーチスタッフとも言うべき教官で、前述のクリニカルスタッフと対称的に、診療の義務をはずし、むしろ大学院生全体の教育と自らの研究に専念できる教官である。もちろん、従来からのそれぞれの研究グループの指導体制は、過去の経験からふり返ってみて十分に有効であるから温存維持していくことは当然である。

-"医員について"-

 第三内科では、従来から医員と大学院生は診療、研究、その他諸々の条件についても同等に扱ってきた。しかし、もとを正せば、医員は病院の診療委員としての身分である。従来通りの医員のポジションは、それぞれ個人の事情で大学院生になることを希望しなかった医局員のためにある程度は確保しておきたいが、将来的には医員はジュニアとシニアの医員に分け、その仕事内容も明確にして行きたいと考えている。ジュニア医員になる候補者は、原則として卒後1年目から大学病院以外で研修を開始した研修医達で、2年間、外の病院研修をした後の3年目は大学病院へ帰ってきてもらい、第三内科に入院する患者の疾病について理解を深めてもらいたいと考えている。病棟以外に外来や緊急および中央診療施設なども手伝ってもらうことになると思うが、卒後3年目には、まだ研究グループには配属されておらず、従って、真に第三内科の診療において縦横無尽の活躍を期待している。シニア医員は、大学院を卒業した後の人達が対象となり、準スタッフとして、ポリクリ学生の指導、病棟や外来の運営など多方面での業務をこなして頂くつもりである。

-"研究生と論文博士"-

 大学における正規の身分には、教官、医員、大学院生、医員(研修医)の他に大学院医学研究科研究生(以下、研究生と略す)がある。この身分は、大学院医学研究科の博士課程を経ない者(すなわち、大学院生にならなかった者)が医学博士の学位を申請する時に必要な身分であり、この方法で取得された学位を、いわゆる論文博士という。大学院を修了して取得された学位と論文博士の問には何ら差はなく、ともに医学博士である。

 先述の医員の定数には制限があり、今後さらに縮小される可能性もある。医員の総ワクからジュニア医員ワクを造っていく予定にしているので、従来の医員ワクは益々減少させざるを得ない。従って、医員の身分で研究を開始した方々は、研究手段を会得し研究の方向性が確立した段階で、後輩に医員の身分を譲って頂き、自らは研究生となって研究生活を継続して頂くことになる。この場合は、関連病院に籍を置きながら、大学では研究生の身分で研究を行う形になる。関連病院の紹介や、研究を継続する上での勤務条件の関連病院との交渉については、医局が窓口になって行う予定である。話を聞いて、頭で描くと厳しい生活を強いられるのではないかと不安を持つかもしれないが、良い勤務条件や待遇が得られれば、予想以上に研究に必要な時間を持つことができるかもしれない。今まで第三内科では、大学院修了で学位を得た者と研究生で論文博士の学位を得た割合は、ほぼ同数ぐらいであるが、今後、大学院生志望者の数にも依るが、諸々の事情で大学院へ進む余裕のない方々も多いと思うので、研究生の論文博士コースもできるだけ整備するつもりである。

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